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21世紀に生きる君たちへ 司馬遼太郎さんのメッセージ

『秋の教育スペシャル たけしの日本教育白書2006』ご覧になりましたか?

来年、小学生になる息子を持つ親として、大変な衝撃をうけました。ショックです。学級崩壊って、ほんとにあんなことが起こっているんでしょうか?50%の教師が辞めたいと思っているって本当なんでしょうか?考えてしまう番組でした。

最後に取り上げた、司馬遼太郎さんの文章、少しでもたくさんの人の目に触れて欲しいと思い、本文の一部をご紹介します。

調べてみたら、いろんなところで取り上げられている、名文だったんですね。小渕総理大臣の演説に引用されたり、大手の書店で、この文章が掲載された教科書のため市販され、大変な話題になったりと。


『21世紀に生きる君たちへ』

昔も今も、また未来においても変わらないことがある。そこに空気と水、それに土などという自然があって、人間や他の動植物、さらには微生物にいたるまでが、それに依存しつつ生きているということである。
自然こそ不変の価値なのである。なぜならば、人間は空気を吸うことなく生きることができないし、水分をとることがなければ、かわいて死んでしまう。
さて、自然という「不変のもの」を基準に置いて、人間のことを考えてみたい。
 人間は・・・・繰り返すようだが・・・・自然によって生かされてきた。古代でも中世でも自然こそ神々であるとした。このことは、少しも誤っていないのである。歴史の中の人々は、自然をおそれ、その力をあがめ、自分たちの上にあるものとして身をつつしんできた。
 この態度は、近代や現代に入って少しゆらいだ。
 ・・・・人間こそ、いちばんえらい存在だ。
という、思い上がった考えが頭をもたげた。20世紀という現代は、ある意味では、自然へのおそれがうすくなった時代といってもいい。

 同時に、人間は決しておろかではない。思いあがるということとはおよそ逆のことも、あわせ考えた。つまり、私ども人間とは自然の一部にすぎない、というすなおな考えである。
 このことは、古代の賢者も考えたし、また19世紀の医学もそのように考えた。ある意味では、平凡な事実にすぎないこのことを、20世紀の科学は、科学の事実として、人々の前にくりひろげてみせた。
 20世紀末の人間たちは、このことを知ることによって、古代や中世に神をおそれたように、再び自然をおそれるようになった。
 おそらく、自然に対しいばりかえっていた時代は、21世紀に近づくにつれて、終わっていくにちがいない。

 「人間は自分で生きているのではなく、大きな存在によって生かされている。」
 と、中世の人々は、ヨーロッパにおいても東洋においても、そのようにへりくだって考えていた。
 このかんがえは、近代に入ってゆらいだとはいえ、右に述べたように近ごろ再び、人間たちはこのよき思想を取りもどしつつあるように思われる。
 この自然へのすなおな態度こそ、21世紀への希望であり、君たちへの期待でもある。そういう素直さを君たちが持ち、その気分をひろめてほしいのである。
 そうなれば、21世紀の人間はよりいっそう自然を尊敬することになるだろう。そして、自然の一部である人間どうしについても、前世紀にもまして尊敬しあうようになるのにちがいない。そのようになることが、君たちへの私の期待でもある。


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 さて、君たち自身のことである。
 君たちはいつの時代でもそうであったように、自己を確立せねばならない。
 ・・・・自分に厳しく、相手にはやさしく。
 という自己を。
 そして、すなおでかしこい自己を。
 21世紀においては、特にそのことが重要である。
 21世紀にあっては、科学と技術がもっと発達するだろう。科学・技術がこう水のように人間をのみこんでしまってはならない。川の水を正しく流すように、君たちのしっかりした自己が科学と技術を支配し、よい方向に持っていってほしいのである。
 右において、私は「自己」ということをしきりに言った。自己といっても、自己中心におちいってはならない。
 人間は、助け合って生きているのである。
 私は、人という文字を見るとき、しばしば感動する。斜めの画がたがいに支え合って、構成されているのである。 
 そのことでも分かるように、人間は、社会をつくって生きている。社会とは、支え合う仕組みということである。
 原始時代の社会は小さかった。家族を中心とした社会だった。それがしだいに大きな社会になり。今は、国家と世界という社会をつくりたがいに助け合いながら生きているのである。
 自然物としての人間は、決して孤立して生きられるようにはつくられていない。
 このため、助けあう、ということが、人間にとって、大きな道徳になっている。
 助け合うという気持ちや行動のもとのもとは、いたわりという感情である。
 他人の痛みを感じることと言ってもいい。
 やさしさと言いかえてもいい。
「いたわり」
「他人の痛みを感じること」
「やさしさ」
 みな似たようなことばである。
 この三つの言葉は、もともと一つの根から出ているのである。
 根といっても、本能ではない。だから、私たちは訓練をしてそれを身につけねばならないのである。
 その訓練とは、簡単なことである。例えば、友達がころぶ。ああ痛かったろうな、と感じる気持ちを、その都度自分中でつくりあげていきさえすればいい。
 この根っこの感情が、自己の中でしっかり根づいていけば、他民族へのいたわりという気持ちもわき出てくる。

 鎌倉時代の武士たちは、
「たのもしさ」
ということを、たいせつにしてきた。人間は、いつの時代でもたのもしい人格を持たねばならない。人間というのは、男女とも、たのもしくない人格にみりょくを感じないのである。
 もう一度繰り返そう。さきに私は自己を確立せよ、と言った。自分に厳しく、あいてにはやさしく、とも言った。それらを訓練することで、自己が確立されていくのである。そして、“たのもしい君たち”になっていくのである。

 以上のことは、いつの時代になっても、人間が生きていくうえで、欠かすことができない心構えというものである。
 君たち。君たちはつねに晴れあがった空のように、たかだかとした心を持たねばならない。
 同時に、ずっしりとたくましい足どりで、大地をふみしめつつ歩かねばならない。
 私は、君たちの心の中の最も美しいものを見続けながら、以上のことを書いた。
 書き終わって、君たちの未来が、真夏の太陽のようにかがやいているように感じた。

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